ヒガンバナはどうやって増えた?

スポンサーリンク




今の時期になると、田んぼのあぜや畑の隅に必ずと言っていいほど見かけるのがヒガンバナ・彼岸花(リコリス、曼珠沙華)です。

棚田と彼岸花
棚田と彼岸花

 

日本には北海道から琉球列島まで見られるが、自生ではなく中国から帰化したものと考えられています。その経緯については、稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったといわれています。

以前は赤一色でしたが、最近では黄色や白色の物も見かけるようになりました。

6526dc4a6f13de7b8b7bedc66f463313_s

307501db0b4635cf45152a4edb972f84_s

 

色は鮮やかですが、実は全草有毒で、特に鱗茎にアルカロイド(リコリン、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリン等)を多く含む有毒植物。経口摂取すると吐き気や下痢を起こし、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死に至ることもあるので注意が必要です。

それゆえ、植えられた目的として、畦の場合はネズミ、モグラ、虫など田を荒らす動物がその鱗茎の毒を嫌って避ける(忌避)ように、墓地の場合は虫除け及び土葬後、死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐためとされる。モグラは肉食のためヒガンバナに無縁という見解もありますが、エサのミミズがヒガンバナを嫌って土中に住まないためにこの草の近くにはモグラが来ないからという説もあります。

a8fc62b5d11f16b006f8211e3007d2dc_s

 

このヒガンバナ、実は種子で増えることができません。
そのため、株分けでしか繁殖できません。しかも驚くことに日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられています。

それではなぜ株分けでしか増えることができないのでしょうか?
それはヒガンバナが三倍体であるからです。

通常植物の体は、オスの精核とメスの卵子から1つずつのゲノム(遺伝子(gene)と染色体(chromosome)から合成された言葉で、DNAのすべての遺伝情報のこと)を譲り受けて2つのゲノムを持っています。これが二倍体です。
そして、精核や卵子を作る時には2つのゲノムを半分に分けます。そして再び受精することによって二倍体に戻ります。

ところが日本に持ち込まれたヒガンバナはこのゲノムが3つのものでした。つまり三倍体です。
二倍体は2つのゲノムを半分に分けることができますが、三倍体は3つのゲノムをうまく半分に分けることができないので、種子が正常にできないのです。

aa6ffa1ddb8eeabfbe358f4b80dc1697_s

 

それゆえ、球根にも毒があるにも関らず、水にさらして毒を抜くと食料にもなるため、飢饉などに備えて非常食として植えられて各地に広まって行ったものと考えられています。
たまに新しい造成地や、線路沿いなどにも彼岸花が咲いていることがありますが、これは土と一緒に球根が運ばれていったと考えられます。
また、山間部森林内でも見られる場合がありますが、これはむしろそのような場所がかつては人里であった可能性があります。
このように、ヒガンバナが咲いているということは、必ず人が球根を植えたという可能性があるのです。

9caf0e9b25affaf54577b09daf7e006c_s

 

ここまで書いておいてなんですが、じつは原産地の中国には種子をつける二倍体のヒガンバナが存在するそうです。
二倍体三倍体があるにもかかわらず、なぜ三倍体のヒガンバナだけが日本に持ち込まれたのでしょうか?

三倍体のヒガンバナは二倍体のものよりゲノムが大きいので、その分球根も大きくなります。
また種子をつけない分だけ球根も肥大化します。
日本に持ち込まれた理由が非常用の食料とするためであったため、球根もより大きなものが選ばれた可能性があります。
それゆえ、球根がおおきくなる三倍体のヒガンバナが日本へとやってくることとなったのではないでしょうか?。

76a58bcd41074f958ad298ff9df05306_s

 

スポンサーリンク
Yahoo!ショッピング

今日は何の日?・9月11日

スポンサーリンク



  • 公衆電話の日

1900年のこの日、日本初の自動公衆電話が、東京の新橋と上野駅前に設置された。
当時は「自動電話」と呼ばれていて、交換手を呼びだしてからお金を入れて相手に繋いでもらうものだった。1925(大正14)年、ダイヤル式で交換手を必要としない電話が登場してから「公衆電話」と呼ばれるようになった。

現在ではご存知の通り、帯電話・PHSが若年層だけでなく高齢者層にも普及したうえ、電子メールなどの普及により通話時間そのものが減少していることにより、市役所や病院などの公共施設においても次第に施設数が減ってきている。
NTT東のエリアには1999年度末時点で約35万7000台あったが、2014年度末には約8万8000台と4分の1以下になりました。

コンビニと公衆電話
コンビニと公衆電話

しかし、減少しているにもかかわらず、全撤去されないのはなぜでしょうか?
それは、公衆電話電話の設置は国から義務付けられているからです。

市街地(最近の国勢調査の結果による人口集中地区をいう。)においてはおおむね500メートル四方に1台、それ以外の地域(世帯又は事業所が存在する地域に限る。)においてはおおむね1km四方に1台の基準により設置される音声通信役務を提供する自動式公衆電話機(これを『第一種公衆電話』と定義する。

公衆電話は2種類に区分され、「第1種公衆電話」は一定範囲内での設置が義務付けられ、「第2種」は利用実態に応じて設置されています。
また、緊急自体に備えて、市街地は500m四方に1台、それ以外でも1km四方に1台という基準で設置されている。
同時に設置箇所も原則として、終日公衆の用に供することができる公道上または公道に面した場所としている。

その大きな役割は、「災害時のインフラ」です。
公衆電話は災害時には「優先電話」として利用できるますし、地震などで一般固定電話や携帯電話での通話が規制されたとしても、公衆電話はつながりやすいとされています。加えて、停電しても使え、災害時には硬貨やカードなしで通話できるよう無料開放されるというメリットがあります。

しかしながら、ある世代以上の人には信じられないことですが、最近の若者の中には公衆電話の使い方を知らない人もいるそうで、ヤフー知恵袋には『公衆電話の使い方を教えてください』という質問まであったそうです。

なので参考までに使い方をおさらいしておきます。
なにも難しいことはありません、受話器を上げ、硬貨又はテレホンカードを投入し、電話番号をダイヤルします。わかりましたか?これだけです。

05034f87b694d6dc0f5e05c8882f14fe_s

設置台数
2014年(平成26年)度末   183,655(NTT東日本 : 87,785)(NTT西日本 : 95,870)

 

  • 警察相談の日

警察庁が1999年に制定。警察への電話相談番号「#9110」から。
#9110に電話すると警視庁と各道府県警察本部に設置されている総合相談室につながり、この日に限らず1年中、各種事件の困りごとの相談に応じる。

 

  • 今日のおもな出来事

1937年 旧水戸藩後楽園の一部に建設された後楽園球場が開場。

1950年 関脇・力道山が引退を発表。翌年プロレスに転向。

力道山
力道山

1985年 ロス保険金殺人疑惑の三浦和義が殺人未遂容疑で逮捕。(ロス疑惑事件)

1985年  ピート・ローズが4192安打を放ってタイ・カッブの記録を更新し、同日4193安打まで記録。

2001年 アメリカで同時多発テロ。ニューヨークの世界貿易センタービルやワシントンの国防総省にハイジャックされた航空機3機が突入、1機が墜落。貿易センタービルが崩潰。死者数千人。

2009年 H-IIBロケット1号機により「宇宙ステーション補給機」(HTV)初号機が国際宇宙ステーション(ISS)に向けて打上げ。

2010年 日本の準天頂測位衛星「みちびき」が打上げ。

2012年  日本政府が地権者から尖閣諸島の魚釣島及び南小島、北小島を20億5千万円で売買契約し、国有化とした。

尖閣諸島
尖閣諸島

2015年  関東地方・東北地方で集中豪雨(平成27年9月関東・東北豪雨)発生。8人死亡。栃木県・茨城県・宮城県の三県で大雨の特別警報が出る程の大災害が起き茨城・常総市の鬼怒川と宮城・大崎市の渋井川が氾濫した。

 

  • 今日の昔話


童話・昔話・おとぎ話の「福娘童話集」

クジラとモグラ(和歌山県の民話)

479388

むかしむかし、文覚(もんがく)という偉いお坊さんが、日本一の那智(なち)の滝で修行しようと熊野(くまの)へやって来ました。
熊野浦(くまのうら)に来ると大シャチが子クジラを追いまわしていたたので、お坊さんは大シャチに自分の弁当をやって代わりに子クジラを逃がしてもらいました。
すると子クジラは、何度も頭を下げて、
「このご恩は、決して忘れません。きっと、ご恩返しをいたします」
と、言って、海の中へ沈んでいきました。
また少し行くとモグラが子どもたちにいじめられていたので、お坊さんは子どもたちにお菓子をやって代りにモグラを逃がしてもらいました。
モグラは、何度も何度も頭を下げて、
「このご恩は、決して忘れません。きっと、ご恩返しをいたします」
と、言って、畑の穴の中に入っていきました。

さて、お坊さんが那智の近くまでくると、どこからかかわいらしい男の子がやってきて、
「那智の滝に行くなら、恐ろしい赤鬼に注意しないといけないよ。もし赤鬼が出てきたら、このアメをなめさせなさい」
と、アメの入ったきれいなつぼをくれました。
お坊さんが那智の大滝に着くと、男の子の言っていた赤鬼がドスンドスンとやって来て、問答(もんどう)の勝負をしようと言うのです。
「もしお前が問答勝負に負けたら、食ってやるからな」
するとお坊さんは、アメの入ったつぼを差し出して、
「その前に、このアメをなめてみろ」
と、言いました。
「うん? なんだ、こんな物。腹の足しにも・・・」
鬼がアメを一つ口に入れてみると、これがなかなかにおいしいのです。
そこで二つ三つと口に放り込み、うまいうまいと言いながら問答勝負を忘れてどこかへ行ってしまいました。

さて、お坊さんがさっそく滝にあたって修行をしようとしたものの、滝つぼの水が多くて滝の下まで行くことが出来ません。
それを見たモグラは恩返しをするのは今だと思って、日本中のモグラを呼び集めて、滝つぼの底から海までの長い長いトンネルを掘りました。

040669
これを見たクジラは恩返しをするのは今だと思って、日本中のクジラを呼び集めて、トンネルから流れ出てくる水を吸い込んでは海の上にはき出しました。
すると滝つぼの水はみるみるへって、お坊さんはらくらくと滝の下に行くことが出来たのです。
この時にモグラの掘ったトンネルは、那智の滝から勝浦の海に続いており、その穴からは今でも真水が噴き出ているのです。
また、お坊さんにアメをくれた男の子は那智の観音さまで、そのアメは『那智黒』と呼ばれ、今では那智の名物になっているのです。

 

スポンサーリンク
Yahoo!ショッピング