- フラフープ記念日
1958(昭和33)年のこの日、フラフープが日本で初めて発売された。
1本270円で、一箇月で約80万本という爆発的な売上げを記録する大ブームになったが、「腸捻転になる」等の噂がたち、急速に売行きが落ちました。
- ドライバーの日
物流産業新聞社が制定。
「ド(10)ライ(1)バー(8)」の語呂合せ。
トラック・バス・タクシーなどのあらゆるプロドライバーに感謝するとともに、プロドライバーの地位向上を目指す日。
- 冷凍食品の日
日本冷凍食品協会が1986(昭和61)年に制定。
10月は冷凍の「とう(10)」から。18日は、国際的に、-18℃以下に保てば冷凍食品の品質を1年間維持できるとされていることから。
「食慾の秋」でもあることから、冷凍食品の販売促進のためのPRが行われます。
- 統計の日
1973(昭和48)年7月3日の閣議で決定。
1879(明治12)年9月24日(新暦10月18日)、府県物産表に関する太政官布告が公布されました。国民に統計の重要性を知ってもらうための記念日。
- 木造住宅の日
日本木造住宅産業協会が1998(平成10)年に制定。
「住(10)」の語呂合せと、「木」を分解すると「十」と「八」になることから。
- ミニスカートの日
1967(昭和42)年のこの日、イギリスから「ミニの女王」ツィギーが来日し、ミニスカートブームが起りました。
- 世界メノポーズデー
1999(平成11)年の第9回国際閉経学会で採択。
「メノポーズ」とは「閉経」「更年期」のことで、更年期前後の女性がどう生きるかを考える日。
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今日のおもな出来事
1185年 後白河法皇が、源義経に頼朝追討の院宣を下す。源義経
1568年 織田信長に支援された足利義昭が室町幕府第15代将軍に就任。(新暦11月7日)足利義昭
1881年 日本初の政党「自由党」が結成大会。29日に板垣退助を総理(党首)に選出。
1941年 ゾルゲ事件で、ドイツの新聞社特派員ルヒャルト・ゾルゲをスパイ容疑で逮捕。 ゾルゲ事件
1941年 東條英機が40代内閣総理大臣に就任し、東條英機内閣が発足。東條英機が首相・陸相・内相を兼任。東條英機
1955年 長崎県大村湾口に西海橋が開通。橋脚間216mで当時日本一、世界でも3位の長さ。西海橋
1969年 日産自動車が「フェアレディZ」を発表。 日産・フェアレディZ
1972年 北陸自動車道の最初の開通区間・金沢西~小松が開通。北陸自動車道
今日の昔話
二宮金次郎(尊徳)
今でも多くの小学校に銅像がある二宮金次郎は、貧しい農家に生まれながらも学問に励んで出世し、藩の財政を立て直したり、田畑の開墾を指導して六百余りの村を復興させた人物です。
これは、この二宮金次郎の少年時代のお話しです。
相模国(さがみのくに→神奈川県)に生まれた金次郎は、とても貧しい農家の長男でした。
とても貧しかったので、その日の食べる物にも困っていました。
そこで仕方なく、末の弟を親戚の家に出す事になったのです。
その夜、お母さんは息子の金次郎に泣きつきました。
「金次郎。わたしはやっぱり嫌だよ、あの子を親戚にやるなんて」
それを聞いた金次郎は、お母さんに言いました。
「わかりました。明日からは、わたしが人の二倍働きます。だから弟は、すぐに帰してもらいましょう」
「ああ、金次郎。すまないねえ」
金次郎は弟が帰って来ると、前よりもっと働かなければなりませんでした。
朝早くからたきぎを拾って町で売り、それが終わると夕方まで畑を耕して、そして夜は遅くまでわらじを作りました。
お母さんは体が弱くて、あまり働けないので、十五才の金次郎が一人で家族を養うのです。
それは大変な苦労でしたが、金次郎は文句一つ言いません。
それどころか、
「移動する時間、何もしないのはもったいないな。時間は、上手に使わなくちゃ」
と、たきぎを町へ売りに行く時は、本を大声で読みながら歩いたのです。
この当時、農家の人間が勉強するのは珍しい事でした。
ですから、この金次郎のおかしな行動は、すぐに村中に広まりました。
「あの子、勉強しながら歩いているよ」
「ほんと、全く変わった子だね」
そしてそれを知った親戚のおじさんは、金次郎を叱りつけました。
「馬鹿者! 農家の人間に、学問などいらんのだ! だいたい本を買う金があったら、家族に食べ物でも買ってやれ!」
しかし金次郎は、おじさんに叱られても、こっそり勉強を続けました。
こうして勉強を続けた金次郎は、やがてどんどん出世をして、村一番のお金持ちになったのです。
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今日の雑学
昨日に引き続いて、阿蘇山のネタ
阿蘇山はもともと富士山より高かったって本当?
九州の阿蘇山といえば、世界屈指のカルデラ火山ですが、その標高は最高の高岳でも1592メートルでしかありません。九州一でもなく、富士山の半分以下の高さに過ぎないですが、それはあくまで「今」の姿です。
大昔、阿蘇山は富士山よりも高かったとみられ、今の阿蘇山はそんな巨大阿蘇山の残骸といえるのです。

数十万年前、九州は南北二つの陸地にわかれ、阿蘇山のある場所は海峡となっていました。
その海峡で海底火山が隆起し始め、火山は海から突き出し、巨大化しました。その巨大阿蘇山から流れ出る溶岩流によって、南北二つの島が繋がり、九州は一つの陸地になったのです。
阿蘇がどれだけ巨大であったかは、その噴火の軌跡でわかります。
阿蘇は4回の大噴火によって、火砕流を周囲に流しています。特に9万年前の大噴火は超巨大で、火砕流は今の山口県あたりにまで達し、遠く離れた北海道にすら火山灰が降りました。火山灰や火砕流の流出量は600立方キロメートルにのぼり、これは現在の富士山の山体すべてに匹敵します。
ですが、巨大阿蘇山は、その巨大さを維持できませんでした。大噴火を繰り返し、溶岩を外に噴出するにつれて、山体の内部が空洞化し、やがてみずからの重みに耐えられなくなって、崩壊することになりました。山頂部分から中腹にかけて大きく崩れ、今の阿蘇山のような姿になったのです。


