土曜日の競馬・メインレース予想・10/29編

このコーナーは、無料ソフト・「Super当馬君」を使用して予想します。
ただソフトをそのまま使用するのではなく、各ファクターを調整して買い目を出します。
したがって、印の重さがそのまま使用した場合と異なる場合があります。
まだまだ試行錯誤中ですので、備忘録として公開します。このコーナーでは、印を出すだけです。
買い目及び馬券の種類は皆さんで自由に選んでください。

 

まずは先週の結果から。

10/22・東京11R・富士ステークス・G3

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馬連:×→〇で1960円

 

10/22・京都11R・室町ステークス・OP・ハンデ

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ハズレ

 

続きまして今週の予想

各競馬場とも天気微妙なため、3パターン予想

京都11R・スワンステークスG2

良馬場予想
良馬場予想

 

やや重予想
やや重予想

 

重予想
重予想

 

東京11R・アルテミスステークスG3

良馬場
良馬場

 

やや重
やや重

 

重

 

新潟11R・魚沼特別1000万

良

 

やや重
やや重

 

重

 

購入は全て自己責任でお願いします。
結果について当方は一切関知いたしません。

今日は何の日? 10月29日

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ホームビデオ記念日

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1969(昭和44)年のこの日、ソニー・松下電器・日本ビクターが世界初の家庭用VTRの規格「U規格」を発表した。
しかし、値段の高さやカセットテープの大きさなどから家庭には普及せず、各社が小さいサイズのテープを使用した規格を構築し出した。最終的にはソニーのベータ方式とビクターのVHS方式に収斂され、以降、両陣営の熾烈な争いが繰り広げられることとなった。

家庭用ビデオの規格争いとしては、もっとも有名な事例であり、単に「ビデオ戦争」といえば『VHSとベータマックスのデファクトスタンダード戦争』を指すことがほとんどである。

家庭用ビデオの最初期には、カセット収納型規格として

  • U規格(ソニー・松下電器(現・パナソニック)・日本ビクター(現・JVCケンウッド)、後に放送用・業務用へ転用)
  • Vコード / VコードII(東芝・三洋電機)
  • オートビジョン方式(1973年、松下電器)[1]
  • VX方式(松下寿電子工業(現・パナソニック ヘルスケア))
  • ベータマックス(ソニー)・βII採用後はベータ方式と呼称
  • VHS(日本ビクター)

など、さまざまな規格が乱立していたが、開発・販売が先行していたU規格がカセットの大きさや価格の面で家庭用としては普及せず、各社が1/2インチテープを使用する各規格を構築し「家庭用の本命」とPRしていた。しかしVコードを開発した東芝・三洋がベータ方式に参入(当初は併売)、オートビジョン方式・VX方式を開発した松下電器も子会社であるビクターが開発したVHSの併売を決め、最終的にはベータ方式とVHS方式に収斂されていった。

結果としてベータ陣営はソニーを規格主幹として東芝・三洋電機・NEC・ゼネラル(現・富士通ゼネラル)・アイワ(現・ソニーマーケティング)・パイオニア(現・オンキヨー&パイオニア)が、VHS陣営は日本ビクターを規格主幹として松下電器産業を中心にシャープ・三菱電機・日立製作所・船井電機などが、それぞれ加わった。 ソニーのベータマックスがU規格と同等の性能確保を意識し、基本録画時間を1時間(後のβIモード)として画質を堅持、U規格と同じ形態によるフルローディングとして機能性を維持していた[2]のに対し、VHS方式では家庭内用途を意識して画質・機能を過度に追求せず、基本録画時間を2時間と設定していた。録画時間で劣るベータマックスは、すぐさま2倍モードに相当する「βII」モードを開発・搭載することでVHS方式に対抗したが、2倍モードの構造的問題から再生処理を本来規格から変更せざるを得ず、βIIモードの再生処理を基本とした「ベータ方式」として規格を再構築し、これを各社が採用する形となった(最初期のβIをソニー以外の各社がサポートしない理由となっている)。ベータマックスの再生モードの基本がβIIモードになったことから、画質面では両者に顕著な差はなくなったが、機能面ではVHSはベータマックスの後塵を拝することとなった。ベータ方式は主幹のソニーが画質維持と高機能化を意図した開発指向で新機種を投入し、対するVHS方式は「家庭用」であることを強く意識した商品開発を各社がバリエーション豊かに進め、技術の進歩に合わせて目まぐるしいほどの速度で画質改善や新機能の搭載が進んだ。

こうして家電品史上例のない規格対立戦争は1980年代まで続くこととなったが、一般的傾向としては録画時間が長く、また販売店の多かったVHS陣営が1980年代初頭頃から優勢になり、1980年代半ばには「VHSの実質的勝利」という認識が拡がった。東芝・三洋などベータ陣営のメーカーもVHS方式の併売をはじめ、程なくベータ方式の新規開発を取りやめVHSへ完全に鞍替えすることとなった。ベータ方式の規格主幹であるソニー自身も1988年にVHSの併売に踏み切り、ベータ方式は事実上の市場撤退となった[3]。ソニーはその後もベータ方式の開発・販売を続けていたが、2002年8月27日に同年末でベータデッキの生産終了を発表、市場からの完全撤退となった[4]

最初の戦いがVHS勝利で幕を閉じた理由として、以下の理由が挙げられる。

  • 販売戦略による要因
    • VHSを牽引したビクターが陣営拡大のためOEM生産を精力的に行ったこと(参入社が増えることによる販売チャンネル拡大)
    • メーカー系列店での購入が主だった当時、結果としてVHS陣営のメーカーの系列店の方が多く、購入しやすかったこと。
  • 技術的要因
    • ベータ方式に比べ部品数が少なく、精密/調整箇所も少なかったため、各メーカーの参入が容易で量産や低価格化がしやすかったこと[5]
    • 基本規格の録画時間が長く、長時間モードも含めて有利だった[6][7]
    • ベータ陣営がVHS陣営に先駆けて投入した各技術が、消費者にとって決定的な差別化とならなかったこと。性能重視が裏目に出たケースも存在した[8]
    • ベータサイドが普及期に大きな混乱を招いてしまったこと。テープの表示を長さ(フィート)で表したために録画可能時間が分かりにくい、記録フォーマットやノイズリダクションシステムによっては再生対応機種が限られる[9]など、煩雑・難解な要素が存在していた。
  • VHSの方がソフトが充実していた。
    • VHS陣営の優勢を受けて、ビデオソフトメーカーが販売・レンタルともVHSに一本化したこと。
    • アダルトビデオに対する見解の違い。VHS陣営がアダルトソフトにも積極的に進出する一方、ベータ陣営は発売をためらっていた。

ソニーはベータの苦境を見て、1984年には4日間連続の新聞広告で「ベータマックスはなくなるの?」「ベータマックスを買うと損するの?」「ベータマックスはこれからどうなるの?」といった問いかけに「答えは、もちろん「ノー」。」「もちろん発展し続けます。」というコピーを入れ、最終日に「ますます面白くなるベータマックス!」という展開で終わる奇抜な新聞広告を行ったが、4日間継続して読み続けないと意図が上手く理解できない構成だったことが災いし、ベータ離れがさらに進行する結果となってしまった[10]

なお規格争いに勝利したVHSも、2010年代に終末期を迎えた。パナソニックは2012年に入って「VHSデッキの日本国内向け生産を2011年限りで完全終了した」旨を公式発表。これにより大手メーカーでのビデオデッキ生産は終了した。その後、ドウシシャ(「SANSUI」ブランド)が再生専用プレーヤーの生産を終了し、最終的に船井電機(DXアンテナ)1社がDVDレコーダーとの複合機を細々と製造するのみとなったが、2016年7月末をもって生産を終了した(Wikipedia)

 

おしぼりの日

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全国おしぼり協同組合連合会が2004(平成16)年に制定。
10月は「て(ten)」の語呂合せと10本の指から、29日は「ふ(2)く(9)」(拭く)の語呂合せで、「手を拭く」の意味。

 

 

 

    • 今日の昔話

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しずが浦のタヌキ(山口県の昔話)

むかしむかし、青海島(おうみしま)というところに、一人の漁師が八歳になる娘と二人で暮らしていました。
娘の名前は『おしず』で、とても心やさしい娘です。

ある日の事、この島に来た猟師が子ダヌキを生け捕りにしました。
猟師はお昼ご飯に、その子ダヌキをタヌキ汁にしようと考えました。
するとこれを見たおしずが子ダヌキを可愛そうに思って、父親にせがんで子ダヌキを買い取ってもらったのです。
おしずは子ダヌキを裏山に連れて行くと、逃がしてやりました。
「もう、人間に捕まったら駄目だよ」
おしずのおかげで命拾いをした子ダヌキは、何度も何度も頭を下げて山奥へと帰って行きました。

さて、それから十年後。
戦に破れて傷を負った一人の若い落武者が、この島に逃れて来ました。
それを見つけたおしずが親身になって看護した為、やがて落ち武者の若者は元気になり、それが縁で二人は夫婦になったのです。
ですが、やがて落ち武者狩りが始まり、追手がこの島までやって来たのです。
そこで父親は二人を舟に乗せると、こっそりと九州へ逃がしてやりました。
二人がいなくなり一人ぼっちになった父親は、とてもさびしい毎日を送りました。

そんなある寒い夜の事、父親が家に帰ってみると、不思議な事に家の中は灯りがともり、ろばたの火が温かく燃えていたのです。
「おや? 一体誰が?」
父親が家の中を見てみると、なんとそこには十年前の子ダヌキだったあのタヌキが、父親の大好きなどぶろくを持って座っていたのです。
父親がさびしい毎日を送っている事を知ったタヌキが、父親をなぐさめようとやって来たのでした。
それからタヌキは、毎日どぶろくを持って父親の家にやって来ました。

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しばらくしたある日、九州へ行ったおしず夫婦が、父親を迎えに島へ帰って来ました。
「お父さん、九州で新しい家を見つけました。そこで一緒に暮らしましょう」
そして満月の晩、三人は舟に乗って九州へ行く事にしました。
その時、あのタヌキが裏山に駆け上り、三人を見送りながら腹包みを打ち鳴らしたのです。
♪ポンポコポン
♪ポンポコポン
♪ポンポコポンのポンポン

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それ以来、タヌキは満月になると九州へ行った三人を思い出すのか、三人が舟で旅立った浜には満月になるとタヌキの腹包みが鳴りひびいたそうです。
人々はその浜をおしずの名前を取って、『しずが浦』と呼ぶ様になりました。

 

  • 今日の雑学

1969年の10月29日、インターネットの元型であるARPAネットで初めての通信が行われた。
カルフォルニア大学ロサンゼルス校からスタンフォード研究所に接続し、”LOGIN”と入力して”LO”まで送信した所でシステムがダウンした。

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今や BS ビジネスはもちろん、日常生活でも不可欠な存在となっているのがインターネットです。
国内のみならず海外の動画を楽しんだり、 S N S などで世界中の人たちとコミニュケーションができるが、飛び交うデータの量は半端ではありません。
それを可能にしているのが、海底ケーブルの存在です。
国際通信はかつての衛星を使ったものから、ほぼ99%が海底ケーブルへと移行しています。
しかも光ファイバーを使った光通信のため、衛星に比べて短い時間で大容量を送ることが可能です。
現在は、2100枚の DVD を1秒で送信できるというから驚きです。

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ケーブルの太さはわずか2~4cm と細く、深海に設置されるため、水圧800キロ、6トン相当の張力に耐える性能を備えています。
例えば、日本とアメリカをつなぐケーブルの場合、長さはおよそ9000km 、最深部でおよそ8000m級の深海を通っています。
それを深い海溝にもきっちりと這わせ、動いてしまわないように埋設機で埋めているのです。2016年には、日本とアメリカの間でさらに機能を拡大させた、「F A S T E R」 という名の新たな海底ケーブルが運用されることが決定しています。
今や、国際通信は海底ケーブルによる光通信なくしては成り立たなくなっているのです。

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本日もご覧いただきありがとうございました。
それではまた、明日の「今日は何の日?」でお会いしましょう。