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モノレール開業記念日
東京モノレールが制定。
1964年のこの日、浜松町~羽田空港の東京モノレールが開業した。日本初の旅客用モノレールだった。当時は片道15分で250円でした。
遊覧用のものでは1957年に上野動物園に作られたものが最初だった。


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キュートな日
いつまでも若々しい「キュートな」大人を「キュートナー」と呼ぶことを提唱している作曲家・中村泰士が制定。
「キュー(9)ト(十)な(7)」の語呂合せ。
中村泰士主な作品
北酒場・心のこり(細川たかし)
喝采・夜間飛行(ちあきなおみ)
三色すみれ・私の青い鳥・天使も夢見る(桜田淳子)
そして・・・めぐり逢い(五木ひろし)
それぞれの原宿(ロスインディオス&シルビア)
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今日のおもな出来事
1868年 日本初の洋式燈台が観音崎に着工。(新暦11月1日) 観音埼灯台
1945年 枕崎台風が枕崎市に上陸。日本を縦断し死者行方不明3758人。枕崎台風
1978年 NASAがスペースシャトル試験機「エンタープライズ」を公開。 エンタープライズ (オービタ)
1976年、アメリカ合衆国憲法発布200年を記念し、コンスティテューションと名付けられる予定だったが、『スタートレック』の宇宙船エンタープライズ号の名前をつけてほしいという手紙が多数届けられたため、当時のジェラルド・R・フォード大統領によってこの名が付けられた。
ただこのエンタープライズは滑空実験機であり、ファン達の望んだ「宇宙船エンタープライズ号」の誕生とはならなかった。一時は滑空試験の終了後に宇宙飛行ができるように改装する計画があったが、かわりにチャレンジャーを改装することとなり見送られた。初めて宇宙へ行ったオービタは2号機のコロンビアである。チャレンジャーを爆発事故で喪失した際に再度改装案が持ち上がるも、新たにエンデバーを建造する方が適切と判断されて実現しなかった(Wikipedia)

1978年 アメリカ・メリーランド州の大統領山荘キャンプデービッドでエジプト・サダト大統領、イスラエル・ベギン首相、アメリカ・カーター大統領が中東和平に関する合意。 キャンプ・デービッド合意
1982年 イギリスのサッチャー首相が来日。マーガレット・サッチャー
1988年 第24回オリンピック・ソウル大会が開幕。北朝鮮は不参加。 ソウルオリンピック
1991年 北陸新幹線・軽井沢~長野が着工。 北陸新幹線
1996年 野茂英雄が大リーグでノーヒット・ノーランを達成。 野茂英雄
2002年 小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し金正日総書記と会談。金正日は日本人拉致を公式に認める。 北朝鮮による日本人拉致問題
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今日の四字熟語
敬天愛人
意味:天を敬い人を愛し思いやること。西郷隆盛が学問の目的として掲げた語として知られる。
出典:南洲遺訓
用例:これからも敬天愛人の精神を忘れずに学業に精進したいと思う。

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今日のことわざ
枯れ木も山の賑わい
由来:たとえ枯れた木でも、何もない山よりはに賑やかでよいということ。
意味:役に立たないようなものでも、何もないよりはましということ。
このことわざは、自分自身のことをへりくだって言うときに使うので、人に対して使うと失礼になるので注意が必要です。
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今日の昔話
カッパのばあさん(愛媛県の民話)
むかしむかし、ある村の庄屋(しょうや)の奥さんは、男でもかなわない力持ちとして有名でした。
ある年の夏の終わり頃、庄屋の奥さんは用事があって町まで出かけていきました。
その日の日暮れ、用事をすませた奥さんが途中の川のほとりまで帰ってくると、小さな男の子が二人で水遊びをしていました。
「こら、こんなに遅くまで遊んでおって。どこの子じゃ?」
奥さんがたずねると、男の子はだまって奥さんが帰る村の方を指さしました。
「それじゃ、途中まで一緒に帰ろうか」
奥さんが心配していうと、男の子は首をふって、
「疲れたから、歩くのはいやじゃ」
と、言うのです。
「それじゃ、あたしがおぶってやるから、二人とも背中につかまりな」
そう言って奥さんがかがむと、子どもたちは反対の方へ逃げ出そうとしました。
それに気づいた奥さんは、あわてて二人の腕をつかまえました。
「こら、なぜ逃げる。こんなところで遅くまで遊んでおったら、カッパにさらわれるぞ。このあいだも、女の子がカッパに悪さをされたというのに」
カッパと聞いて、二人の男の子はびっくりした顔をしましたが、すぐに奥さんに言いました。
「実はおいらたち、カッパだよ」
それを聞いて、今度は奥さんがびっくりです。
そのすきにカッパたちは逃げ出そうとしますが、奥さんに腕を強くつかまれているので逃げる事が出来ません。
奥さんは腕をにぎっている手に力を入れると、怖い顔で言いました。
「悪さをしたのは、お前たちか! 二度と悪さが出来んように、こらしめてやる!」
するとカッパは、泣きながら言いました。
「あいててて。腕がちぎれる。もうイタズラはせんから、ゆるしてくれ」
「本当か!?」
「ああ、イタズラは二度とせん。それどころか、川で子どもが遊んでおぼれたら助けてやる」
「・・・よし、約束だぞ!」
奥さんは、カッパをにぎっている手をはなしてやりました。
次の日の朝の事です。
奥さんが家の軒下(のきした)を見ると、小さな川魚が三、四匹、クギにつるしてあり、その横に大きなお皿が一枚置いてありました。
「あのカッパが、お礼に持ってきたのかな?」
それからも川魚は毎朝同じように、軒下のクギにつるされました。
ある日、庄屋さんが、
「クギをもっと大きな物にしたら、もっと大きな魚を持ってくるかもしれんぞ」
と、言って、クギをシカの角と取り替えました。
するとカッパはそれっきり、魚を持ってこなくなりました。
なぜならカッパは、シカの角が大きらいだからです。
そして最初の日にカッパが置いていった大皿は『カッパ皿』と名づけられて、庄屋の家の家宝(かほう)として大切にされました。
奥さんはそれから三十年も長生きをして、「力持ちのカッパばあさん」とよばれて死ぬまで村の子どもたちにしたわれていたという事です。